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図書館の風

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 ユナは12歳。おしゃべりはあまり得意じゃないけれど、本の中の世界なら誰とでも話せる気がした。だから、学校が終わったあとは、町のはずれの「緑石(りょくせき)図書館」に通うのが日課だった。 そこは、100年も前に建てられたという古い洋館で、入り口には蔦が絡まり、ステンドグラスには風に舞う鳥たちが描かれていた。中に入ると、木と紙とインクの匂いが混ざったような、ほっとする空気に包まれる。 ある日の夕暮れ。館内にほとんど人がいなくなったころ、ユナはふと、今まで気づかなかった階段の存在に気がついた。それは、いつも読む物語コーナーの書棚の裏。風が本棚の隙間を吹き抜け、まるで「こっちにおいで」と誘ってくるようだった。 階段を降りると、地下に小さな扉があった。その扉には、金の文字でこう書かれていた。 「ひらいた人は、風を聞く」 ユナがそっと扉を押すと、ふわりと柔らかな風が頬をなでてきた。中には、丸い部屋があり、天井は星空のように淡く光っていた。そして、中央にぽつんと一冊の本が置かれている。 『風の音のしおり』と題されたその本は、ページをめくるたびに音が鳴った。 ――しゅう……しゅう…… それはまるで、草原をなでる夜風のような音。 でもあるページでユナが手を止めると、風の音がぴたりとやみ、静けさが降りた。すると、ページの間から一枚の栞がふわりと浮かびあがった。 その栞には、こう書かれていた。 「この風は、読まれなかった物語たちの声です。きみの声で、続きを聞かせてあげて」 ユナがそのページを読みはじめると、風がまた吹き出し、部屋の天井に映る光が、まるで生きているように流れはじめた。 すると不意に、図書館の本たちがそっとページを開きはじめ、風がそこを通り抜け、いくつもの声が重なるように歌い出した。 「ありがとう、読んでくれて」 ユナはその日、それが夢だったのかどうか分からないまま帰った。でも、それ以来、風の音が少しだけことばに聞こえるようになった。 図書館の奥の階段は、次の日にはもう見つからなかった。 いやはや凄い時代、これ全部ChatGPT!

北東北の歴史にドキドキ

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 官報に行旅死亡人のお知らせが掲載されています。行旅死亡人とは、身元が分からず遺体の引き取り手もない死者のことです。相続財産清算人や失踪宣告など、興味のある記事を読んだ日には、ついつい見てしまいます。発見された場所、推定年齢、衣服、体の特徴、所持品などの記載があり、合掌しながら読んでいます。 この行旅死亡人の記事から、遺族を見つけていくというストーリーの本を読みました。年齢も偽り、本名も捨て、自分の身元の分かるものは「ある一つ」を残して他は何も残さず、アパートの一室で亡くなった女性でした。積極的に身元を隠して生きてきて、今風にいえば「終活」の年齢。さらに注意深く、身元の分かるものは残さないようになさっていたのではないでしょうか。この本の作者が身元の判明に尽力し相続人が判明しましたが、それを故人が望んでいたかどうかは分かりません・・という感想を持ちました。様々な人生があります。 大仙市、払田の柵。訪問した日は雄大な景色の中に大陸を渡るような風が吹き荒れ幻想的な雰囲気で、当時の人々はどんな思いで生きて、そして死んだいったのか、私の中にも1ミリくらいはその血が流れているんじゃないの?と。とても魅力を感じる場所でした。城柵の写真に全部親族が映り込んでいて(>_<)、載せられないのが残念。

元気に過ごしましょう

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今年もマスターズが始まりました! 美しいゴルフ場に、たくさんのギャラリー(パトロン)。まるで花が咲き乱れるようです。コース内には様々な本物の花が咲いているのですが、まあ、ギャラリーの皆様のウェアが映えること。赤・白・黄色・青・ピンクなどなど、調和した美しさがあります。残念ながら、日本のトーナメントではなかなかそのような美しさには出会いません。黒だの灰色だの茶色だの・・・。色とりどりの華やかなテレビ画面を見ながら元気をもらっています。リブゴルフに行ってしまった選手を、久しぶりにテレビで見られるのもワクワクです。

桜が咲きました

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 年末、年始と慌ただしく過ごしても、季節は変わりまた春です。桜が咲きましたよ、心の中で語りかける人が、一人、また一人と増えていきます。還暦を過ぎるというのは、そういう事にも近くなるのでしょう。最近「寿命が尽きる2年前」という本を読んでいます。共感できることばかりで、勿体なくて、ゆっくりゆっくりと読んでいます。常々、自然に逆らわずに自分の人生を生きたいと思っている私の背中を押してくれるような内容です。 「何かの足しにもなれずに生きて 何にもなれずに消えていく」私の好きな曲の歌詞です。私もそのうちに、この天の川銀河の遙か遠くに飛んでいくのでしょうが、もう少し頑張らないといけないですね。

光が丘公園

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公園を歩いていると甘やかな良い香りがしてきます。桂の落ち葉です。メイプルシロップのような、少し焦がしたような、なんともいえない良い香り。枯れ葉を拾って、クンクンと嗅いでいる不審なおばさんがいたら、私かもしれません。 今日は風が強く銀杏の実も大量に落下、自転車や徒歩の人々に踏まれてあちこちでバン・バンと音を立てていました。同時にえも言われぬあの香り・・。収穫している方々もおられます。私は下処理の仕方も知らず、かぶれるという知識しかないので、見ているだけです。おそらくお料理も上手なのだろうな。羨ましく見ています。

ゴルフ観戦

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 3年ぶりの御殿場です。今回も美しい富士山が迎えてくれました。日がな一日、富士山を眺めながら、プロのプレイにワクワクし、美味しい食事とコーヒー。風の音や鳥の声にも癒やされます。 コロナ前の日常にはまだまだ戻れません。早く皆がマスクを外して、楽しくおしゃべりができるようになりたいですねー。

慰霊の旅

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 空の上に行ってしまったSさんの代わりに、奈良の正倉院展に行ってきました。帰路はお墓参り。Sさんは毎年の正倉院展をとても楽しみにしていて、この数年は杖をつきながらでも、一人で出かけていました。いくらか若い私でも遠いと思う行程。慣れているからと、いつも笑っておられましたが、大変な精神力だったと思います。やるべき事をやり、きちんと後の段取りを付けて旅立たれました。予定外だったのは、旅立ちが早まったこと・・。またそちらでお会いしましょうね。

祝・一位

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 郵便受けに「 フレイルチェック&お出かけ支援アプリ 」の案内が入っていました。アプリ好きの私は早速ダウンロード、使用開始。まだ参加者が少ないので、2日目にして、光が丘ランキング・昨日の歩数で1位になりました!貴重な画面をスクショ。(^^;)

保険料45年・・

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 子育ては大事業だったのだと、孫もできた今になって思うことがあります。子育て真っ最中の当時は、衣食住だけで精一杯でした。ご飯を作って食べさせて、掃除して洗濯して、自転車に乗せて送り迎えして、またご飯を作って食べさせて、お風呂に入れて寝かしつけての繰り返し。ピーク時は背中に一人おんぶして自転車四人乗り。よくできたものだと思います。若さの力は凄いです。 そんな暮らしの中でも、どこかに何かに才能があるかもとあれこれ習い事をさせてみたりしましたが、所詮親の自己満足。次男の泣き顔しかないベビースイミングの写真を見ながら思います。まあそれでも、大きな病気や大けがをすることもなく、親に心配をかけず大人になってくれたのには感謝です。 国民年金の保険料納付期間を45年に延長することが検討されていますが、皆が100歳まで生きる時代ですから、仕方ないのでしょう。ベビースイミングで泣いてばかりいた子も、今や年金保険料を払って高齢者世代へ仕送りをする一人です。彼らの世代も間違いなく年金受給できますようにと、願うばかりです。 先日訪れた安田講堂。過去の傷跡もそのままでした。

8月です

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私が生まれたのは戦争が終わって16年後ですが、小学校の頃まではまだなんとなく、敗戦の匂いを感じていました。それは周囲の大人たちの戦時中の苦労話であったり、酔っ払った時の軍歌であったり、遠足で訪れた観光地で見かけた負傷した兵隊さんだったりしました。戦争は恐い、と子ども心に思ったものです。親に生意気な事を言うと「昔なら憲兵が来て、ああしてこうして、しょっ引かれる!」とたしなめられたのも恐い思い出です。何を言ったのかさえ覚えていませんが、今となっては自由な時代に生まれていてよかった、と思うのみです。 テレビ番組も8月に入ると戦争や平和をテーマにした物が多くなります。先日放送された「二十四の瞳」は心打たれました。貧困と戦争、私が子どもの頃に感じていた敗戦の匂いと通じるものがありました。親ガチャという言葉がありますが、時代ガチャといってもいいのかもしれません。辛いです。戦後の新しい憲法の下で生きられる幸せを噛みしめています。